彦根城

年末年始に実家京都に帰省したら京都か奈良に観光に行こうかと思ったけど
人で混みそうなので滋賀県彦根城を見に行こうと思っている。

彦根城は「ひこにゃん」で有名になりましたが、彦根城を事前に調べていたら結構内容が面白い。



彦根城
彦根城とは、滋賀県彦根市にある城である。通称、金亀城。
日本でわずか12城しかない、江戸時代またはそれ以前に建設され、現代まで保存されている現存天守(現存12天守)のうちのひとつである。国宝。国の特別史跡


1.概要
多くの大老を輩出した譜代大名の井伊氏の居城である。
徳川四天王の一人・井伊直政の長男・井伊直継が1603年に築城を開始、1606〜1607年頃に天守が完成した(城郭全体の完成は1622年)。
なお、天守京極高次が築城した大津城のものが使われている。
他には長浜城の天秤櫓が移築されており(現存、重要文化財)、いわゆるリサイクル城である。

明治に入り、廃城令により全国の城が次々と取り壊されていく中、大隈重信が視察に来た際、その消失を惜しみ、明治天皇に上奏し取り壊しを免れたと言われている。
1944年(昭和19年)、当時の当主の井伊直忠が彦根城彦根市に寄贈し、現在に至る。
城の中では小振りな城ではあるが、ほぼ創建当時の姿のままであり、文化的価値は極めて高い。
現在、ユネスコ世界遺産の暫定リストに登載されている。

かつては他の城と比べて地味で知名度が低かったが、2007年に行われた「「国宝・彦根城築城400年祭」でマスコットキャラクターを務めた「ひこにゃん」が全国的に爆発的な人気となり、彦根城の名も知られるようになった。


2.関連武将

井伊直政(1561〜1602)は、戦国時代の武将。徳川四天王として名高い。彦根藩初代藩主。
非常に勇猛で短気であり、「井伊の赤鬼」「人斬り兵部」と呼ばれ恐れられていたが、美男子だったため異例の出世をしたのも(むろん本人の実力によるが)家康に寵愛されていたからという理由も否定できない。

  • 井伊直継

「井伊直継」(いい・なおつぐ 1590 〜 1662)とは、重装備と重傷に定評のある徳川四天王の一人・井伊直政の嫡男であり、彦根城を築城したにも関わらず、病弱を理由に弟・井伊直孝彦根藩主の座を譲ることになった上に彦根藩主の履歴を消されて発奮したのか病弱設定なのに長生きした兄者。後年は「井伊直勝」を名のる。

井伊直孝」(いい・なおたか 1590 〜 1659)とは、井伊の赤鬼の異名を誇る徳川四天王の一人・井伊直政の次男で、 父譲りの剛毅で無骨で寡黙なことから「夜叉掃部(やしゃかもん)」と恐れられた彦根レッドブルであり、 徳川家康徳川秀忠徳川家光徳川家綱江戸幕府4代に仕えて初代大老を務めた知勇兼備の将であり、招き猫の元ネタ。


3.エピソード

病弱設定もあってか、フルアーマーに定評のある赤鬼こと父・井伊直政や、父親似の弟・井伊直孝と違い、戦功に恵まれずに彦根藩を弟に譲ることになった井伊直継だが、彼が彦根城を築城したのは事実である。その彦根城建設の際に、あとは天守閣のみとなったところでどうにも工事が進まなくなってしまった。
当時はこういった場合は人柱を用いるのが慣例だったが、温厚な井伊直継は、

「人柱など立てても、工事が進むわけではない。人命を無駄にしてはならぬ 」

と言って認めずにいた。
その後も工事が進まなかった為、普請担当者が困り果てていたところ、その娘が人柱になると言い出した。

「殿様がお困りの時は、命を捨ててご奉公しなければならない 」

と娘に言い続けてきた担当者は、娘の覚悟をくんで井伊直継に進言し、井伊直継も

「お主の娘の忠心、感じ入った。このとおり、礼を申す 」

と頭を下げた。
白装束をまとった娘が白木の箱にいれられて人柱として埋められた後は、工事は無事に進行して天守も完成し、現在も残る彦根城が誕生した。
築城の礼をしたいと井伊直継に招かれた普請担当者は、人柱として埋められたはずの娘と再会した。
井伊直継は、本意では、7カ国12(15とも)もの大名が協力した天下普請を失敗させるわけにはいかないが人柱も最後まで良しとせず、娘が白木の箱に入ったところで空箱と入れ替えて埋めていたのだった。

井伊直孝が江戸にて鷹狩りを行った帰りに、豪徳寺の前を通りかかると住職の飼い猫が手招きするような仕草をした為、豪徳寺に立ち寄って休憩した。
すると天気が一転して雷雨となり、雨に濡らされずに澄んだ井伊直孝は、後日、豪徳寺に対して多額の寄進を行ったといわれており、
この猫が死んだ際には丁重に弔われて境内に招猫堂が建てられたことから、その姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)がつくられるようになったのが所謂「招き猫」の伝承の元ネタのひとつとされており、この「招き猫」と井伊直孝の「赤備え」から誕生したキャラこそ「ひこにゃん」である。

豪徳寺はその後井伊家の菩提寺となり、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓があったりする。



やばい。彦根城に行くのが楽しみになってきた。